
はじめまして、はてなブログは2025年6月13日、つまりこの「混沌の時代の自由討論会」が発足したのと同じ日に開始しました宮武嶺と申します。
尊敬する先輩ブロガーであるkojitakenの日記さんの古寺多見さんにこの討論会にお誘いいただき、編集者にしていただいたのですが、これまで全く貢献できていませんでしたので、これから少しずつこの不定期連載を始めようと思います。
ちなみに私は1988年に司法試験に合格し、1998年から2010年まで司法試験予備校で憲法を含め全科目の入門講座を担当し、2004年から2010年まで関西学院大学の法学部とロースクールで憲法や行政法を教える機会を持ちました。
そこで、性表現などで表現の自由(憲法21条)はどこまで保障されるかなどが議論されているこのブログで、現在の憲法学では表現の自由がどのように位置づけられ、それに対する制約がどこまで合憲だとされているのかについて、これから書いていきたいと思います。
自分のブログはいつも記事が長くてFacebookの読者に怒られていますので(笑)、ここでは細かく区切って連載していこうと思います、が、いきなり今日の記事一本で終わったら笑って許してやってくださいw
さて、今日はまず、表題で使った憲法学の用語についてお話ししたいと思います。
まず人権カタログといわれるのは、日本国憲法が保障する多種多様な基本的人権のラインナップのことです。
大きく分けると自由権、社会権、平等権、参政権などに分類されます。
自由権とは国家からの自由、つまり国家から干渉されないことを本質とする人権で、表現の自由もここに含まれます。
社会権とは国家に対する請求権で生存権や教育を受ける権利などがその代表です。
平等権とは「法の下の平等」(14条1項)で知られる、市民が権利義務において国家が自分を平等に扱うよう要求する権利です。
参政権は選挙権や被選挙権のことで、国政に参加する権利なので国家への自由などと呼ばれることがあります。
次に合憲性判定基準とは、ある人権に対して国家が制約した場合に、その制約が憲法上許されるかを裁判所が判断する際の基準になります。
これまでの人権論はこの合憲性判定基準を細かく分類して、裁判所が違憲立法審査権(81条)を行使する際にどれくらい厳格に判断するかによって、その人権の保障の程度に差をつけるその付け方で人権の特長を浮かび上がらせてきました。
そして、表現の自由が合憲性判定基準について人権カタログの中で優越的地位を占めるとは、立法府である国会が表現の自由を制約する法律を作った場合には、裁判所は厳格な違憲審査基準でこれを合憲か違憲かを判断するとされていることを意味しています。
一般社会ではダブルスタンダードといえばよくない態度の典型になっていますが、憲法学界では表現の自由と例えば職業選択の自由(22条1項)のような経済的自由権ではその中身が違うのだから、違憲審査権の行使においてもむしろ違った判断基準で判断するのは当たり前だとされています。
これを有名な「二重の基準論」で、東大ご出身の芦部信喜先生や京大の佐藤幸治先生らがアメリカで学んで日本に紹介したとされています。
裁判所が最高法規である憲法に反して違憲だと判断した法律は無効とされます(98条1項)。
ですから、これまでの憲法学は人権ごと、制約の場面ごとに細かく合憲性判定基準を変えることで、その人権の内容を裏側から規定してきたといえます。
表現の自由はそれを制約する立法や行政が司法から違憲とされやすいとされるから、優越的な地位を占めていると言われるわけです。
次回はではなぜ表現の自由に対する制約は違憲とされやすいのかについてご紹介します。
やはり長い!(笑)
そしてこんな感じでもここでの議論に貢献できそうでしょうか。
古寺さんと皆さんのご意見をお待ちしています。