
表現の自由は他の人権よりも「自己統治の価値」が高いと言われる。
このシリーズの表題が長かったので少し短縮しました。
今日は表現の自由に対して制約する立法が他の人権に比べて裁判所によって厳格に審査される決定的な理由、民主政過程論です。
憲法21条1項が保障する表現の自由は政治的表現の自由を含み、それがきょう公示された参院選のように選挙中ともなれば、選挙活動の自由にまで及ぶことになります。
市民の誰もが政治的な意見や選挙に関する意見を言い合えることで、お互いに政治的な識見を高めることができ、主権者・有権者としてより良い投票行動が行なえます。
このように表現の自由は「選挙箱の過程」=民主政治の過程において極めて重要で必要不可欠な人権といえます。
逆に、表現の自由が不当に制限されて例えばある政党だけが狙い撃ちで街頭演説が妨害されるというようなことがあると、有権者の投票行動がその政党にとって不利益に影響を受け、議会での議席が減ってしまうかもしれません。
そしてここが肝心なところなのですが、いったんそのような議会における構成の歪みが生じると、二度と是正は行われない危険性が高いということなんです。
なぜならその政党の権利を主張するのはまずその政党の議員ですから、その数が本来あるべき数より減っていれば、議会での発言力は弱くなります。
また他の政党はそのゆがめられた民意の中で当選した人ばかりですから、その表現の自由が侵害されるような選挙制度を原則として変えようとはしないでしょう。
だから、表現の自由を侵害するような立法は実は国会という民主政の機関では論理的に是正できないんです。
となると、表現の自由に関しては万が一にも不当に制限されないように、司法権の担い手である裁判所が厳格な審査基準でその制約が合憲か違憲かを判断しないといけないことになります。
裁判所という非民主的な機関が存在する意味や司法権の独立、三権分立もこのような場合に最も大きくになるといえます。
ですからこれから述べるような二重の基準論、表現の自由に対する制約立法が厳格な審査基準で裁判所で違憲審査される最大の理由はこの民主政過程論にあることになるのです。
しかし、そうなるとこの討論会で問題になっている性表現はあまり民主政の過程で直接には役に立たない分野の表現ではないか、政治的表現と同じくらい優越的な地位を与える必要があるのか、ということが後で問題にもなる、という問題提起だけ、今回はしておきたいと思います。
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