混沌の時代の自由討論会

混沌の時代における政治や社会などの議題に関する自由討論会です。参加者募集中の共用ブログ。

子どもの人権を守る事は「表現の自由」を優越する理由に足り得るか?

 10数年前にある企業の労働組合連合の専従書記を勤めさせて頂き、転籍したグループ会社の労組の非専従の役員を勤めました。現在は労働組合周辺の人であるレバ子と申します。こうしたご機会に立ち会う事ができて、大変光栄です。僭越ながら、労働組合周辺の意見と言うより私なりの結論を出しつつ討論に参加したいと存じます。よろしくお願いいたします。

 ただ私も表現の自由の課題に精通しているわけではなく、私どもの友好団体に子供の人権を守ると言う団体もあり、表現の自由を守るという団体もあり、そうした団体の中でも様々な意見がありその温度差は中々全て解読できる事は難しいです。私見と組織人として意見、また熟議民主主義に対する考え方は様々なご意見が存在し、そうした様々な経験や知識を経た信念に対し意見を挟むのは大変恐縮です。どうかこう言う考えもあると言う一つの少数意見としてお聞きくださいませ。

 1999年にいわゆる「児童ポルノ禁止法」が制定された理由については割愛させて頂きます。ただそうした法整備が必要になった大きな要因は児童労働と少年兵を冷戦が終結した現在、当然これらは廃絶されるべきであると言う意見は多数であり、その中にも児童の性的搾取も含まれていました。先進国の富裕層が観光地に訪れ、児童を自身の欲望のままに大枚を叩いて「購入」すると言う行為は横行されたものでした。そうした機運に日本政府は遅れてしまいようやく、そうした現状に現行法が多少追いついたのが1999年です。その際に様々な意見が噴出しました。「実在しない児童の描写は児童ポルノ足るか」です。こうした意見は様々な国で議論となり、当然色々な論評が存在しましたが、これも割愛させて頂きます。

 ここからは私見ともなりますが、実在しない児童の性的描写は直ちに規制されるべきと言う立場はとらないです。本多平直元代議士はあの時どう言う発言をされたかどうかは音声データを公開されない限り真実は闇のままです。また発言一つで事実上次期総選挙は非公認という処分の軽重は問われる問題です。重すぎると言う意見も当然出るでしょう。ただ「例えば50歳近くの自分が14歳の子と性交したら、たとえ同意があっても捕まることになる。それはおかしい」と言う発言を本多元代議士が本当に発言したとしていたら言語道断、それが信念に基づいた発言だとしても、こうした発言は当然批判も覚悟すべきと存じます。そもそも50歳近くの人が14歳の子供と性交をしたら現行法は犯罪として裁かれます。前述したように児童の性的搾取は少年兵と同様に考えられていました。少年少女は無垢ですが、必ずしもその考えが善であると考えるのはよほど楽天的な人であるか、悪行で財を築いている人でしょう。50歳近くの大人に対し10代の児童が父性にしろ母性にしろ感じていたのだとしたら、そこにはマインドコントロールのようなものが存在し得るかどうか?親代わりに育てて貰った血が繋がらない大人に尊敬の念を抱くことは誰しもある事だと存じますが、そこに性行為があれば果たして大人はどこまで純真無垢だったのか?それこそ慎重に考えるべき課題です。

 さて表現の自由について、実在しない児童の描写を描くことはどこまで児童ポルノ禁止法違反になり得るかと言う問題になれば、私見から言えば規制には慎重になるべきですが、そうしたものの頒布はやはり現行法以上の改善策は必要でしょう。現在はインターネットで様々な情報を得ることができる時代であり、またポルノ対策については現行法が追いついていない事も散見されます。表現の自由については私は守られるべきであるし、漫画家が規制に反対する事は当然の判断でしょう。門外の私はそこまで口を挟まないです。漫画はフィクションであるのだから、その行為まで問われていたら何も描けなくなる理由も理解も納得もできるものです。

 ただ自由の美名のもとに児童のリスクを顧みない発言を繰り返す代議士なら、いずれどこかの機会でそうした言葉の重さを知ることができるのなら、健全とも言える機会でしょう。本多元代議士の音声データは公開されるべき。本多元代議士よりも過激な「自由」な発言をした人物がいるのだとしたら、当然それらはちゃんと公開されないといけないです。元少年兵の手記を読む機会がありました。少年兵の行為は戦争犯罪であり、残虐行為そのものです。少年兵が「兵士」だったら、犯罪として裁かれるでしょう。ただ少年兵がイデオロギーが曖昧な反体制軍事組織の大人に対し、得ていた感情は複雑です。自分の人生を滅茶苦茶にした大人であると同時に純真無垢に父性を感じ、大人のために手を汚した。誰を裁くとしたら、少年兵でしょうか?手を汚すように命じた大人は政権を暴力でひっくり返し、要職に就き少年兵は駐車場の警備員です。天地がかえればそう言う事もあるのでしょう。古今東西そうした歴史を繰り返してきましたが、それを私達の時代に総決算しようと私は決意しています。私自身は何も力がないですが、幸運ながら人の親になり未来を考えるようになりました。この辺りはただの感情論にすぎないです。子が親離れするように、親が子離れする時も訪れます。

 こうした議論は政治的なものになれば、なかなか当時の全景を理解できるものはないですが、1999年において児童ポルノ禁止法成立の立役者であり、さらに実在しない児童の性的搾取の議論を進めていた議員に故清水澄子参院議員が存在し、奇しくも私と同郷です。私の価値観自体はふるさと共通のものであり、それは保守的とみなされるかもしれないし、急進的とも思われるのかもしれません。私のルーツはどこへ行っても変えれないから、だからこそ生まれは漁村であり、いいところも悪いところもあったと私見を述べます。この辺りはぜひ自由の討論の中で語る機会が有れば嬉しいですね。海で生まれ育った人間はどこであろうが、海を語りたくなりたいです。

 こうした討論がどう言う結論を生み出すのか?私の考える表現の自由はプロのものではなく、プロの話を色々と聞きかじり自分の意見が充分にまぶされたものです。新しい意見が出ると、興味が出ます。私は村で育った人なので保守的な部分もあるとは思いますが、海で育った人でもあるので、持論については革新的な部分もあります。村と海で育って人間が産業に就職して労働組合の専従や役員になり、現在も子育て真っ最中です。一つの意見としてぜひご参考になれば幸いです。