混沌の時代の自由討論会

混沌の時代における政治や社会などの議題に関する自由討論会です。参加者募集中の共用ブログ。

意味づけの暴走と21世紀

 関東大震災時には横浜などで略奪事件が生じたほか、朝鮮人武装蜂起し、あるいは放火するといった流言を背景に、住民の自警団や軍隊、警察の一部による殺傷事件が生じた。流言は地震前の新聞報道をはじめとする住民の予備知識や断片的に得られる情報を背景に、流言現象に一般的に見られる「意味づけの暴走」として生じた。3日までは軍隊や警察も流言に巻き込まれ、また増幅した。

 

 関東大震災で発生した朝鮮人虐殺事件に対する日本国の内閣府の公式見解は上記の通りです。後に衆院議長になる石井光次郎は震災発生当時、朝日新聞の記者でした。ある警察幹部から「朝鮮人のむほんの噂がある」という話を聞き、社に持ち帰った時に当時朝日新聞の専務で台湾総督府の総務長官だった下村宏から「朝鮮人が9月1日の震災を予期してむほんを起こすわけがない。」とその警察見解を一蹴。下村の見解は筋が通っており実際朝日新聞はこうした「朝鮮人むほん説」を距離を置きました。当時石井に「むほん説」を漏らしたのは、後に読売新聞のトップになる正力松太郎ですから、歴史は因果がついて回ると思います。流言に意味を求めすぎて、人類史の汚点とも言える虐殺事件を起こしてしまった大災害。必要以上に人は「意味」を見出してしまい、その暴走が人を殺めてしまう事実。これは歴史の教訓というにはあまりにも生々しい現実です。ホロコーストルワンダの「千の丘ラジオ」も意味づけの暴走が巻き起こした結果なら、歴史の教訓は人類は歴史から何も学べないというものになってしまいます。

 

ルワンダの大虐殺は、多数派民族フツ族が少数派だけど政権中枢を長い時代担っていたツチ族を世界史最大級の大殺戮事件の被害者となった事件ですが、当時のツチ族の方のインタビューを聞けば意外な言葉がかえってきています。「千の丘ラジオがツチ族をゴキブリ扱いで虐殺を想起する事を言っていたがツチ族もそのポップさを楽しんでいた。もうそういう事に慣れてしまって彼らの虐殺の脅しを警戒する事は無くなっていました。」

ルワンダの虐殺で亡くなった人は100日間のうちに100万人。人間の愚かさと同時に恐ろしさも感じます。少なくとも庶民の暮らしは隣人でした。当時アフリカは文明的ではないのでこうした事件が起こるというような意見もあったそうですが、極右に侵食され重大なヘイトクライムが次々発生している欧米諸国の現在を鑑みれば、そうした意見は全て驕りであり常に私達は意識しないと偏狭な民族主義に呑まれてしまうという事を真剣に受け止めないといけません。事実フランス大統領のミッテランは 「ああした国ではジェノサイドは珍しくない現象だ」と言い放つ有様でしたから。

 

ある女学校ではフツ族民兵が占拠し、「ツチ族の人間をこちらに引き渡せ」という要求をしました。マチェーテや簡易銃とは言え完全に武装している兵士です。教師すら尻込みする中、最後まで抵抗したのはフツ族の女学生でした。ここにいるのは皆ルワンダ人だ。フツ族ツチ族もない。彼女達は生きようと思えばいくらでもチャンスがあったのに、それを拒み同級生を命を賭して守った。民兵は女学生を殴り最後には殺害しました。彼女達の勇気がいずれ皆が持てる日が訪れる日を信じたいです。暴走が行われている時においても自分の大事な人を守る行為ができる人が正義と讃える日が到来する日が来ると信じようと思います。関東大震災ホロコーストの時代が風化し、意味づけの暴走を知る人がルワンダの人々が1番緊迫感があり、こうした大虐殺が行われた時はわずか30年前の話です。ラジオで感化され、恐ろしい大虐殺を起こした記憶は30年前で現在のネットメディアを見れば果たしてこれは意味づけの暴走が発生しないかどうか非常に危惧しています。

 

「千の丘ラジオ」で虐殺を煽る歌を歌い続け、後に被害者になるツチ族リスナー達にも当時は一定の支持を得ていた国民的歌手のシモン・ビキンディは懲役15年の判決を受けています。当時ルワンダフツ族政権と密接な関係にあったタレントです。2018年に亡くなりましたが、法廷では「平和と民主主義のために歌った」と証言しました。彼の代表曲である「こういうツチ族は嫌いだ」にはツチ族の女性をレイプする内容を示唆されました。表現の自由は時に重い意味を持つことがあります。ルワンダの人々を分けていた「民族」とは一体どういうものだったのでしょうか?1930年代にルワンダを統治したベルギー政府は牛10頭を飼っていた人はツチ族であり、それ以下は全員フツ族でした。ツチ族は確かに牧畜を生業としていた人が多数派でしたが、理由はそれだけです。加害者と被害者の理由が何十年前の飼っていた牛の数で決められるとしたら、こうした悲劇を2度と起こさないためには皆が皆「 之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずとせよ。是れ知るなり。」という言葉を常に思いたいと考えます。私も何も知らない人ですが、最後は「何も知らないが、知ろうと努力はしていた人」と言われる人になりたいです。