皆さん、こんにちは。
広島から、未来の安全保障と私たちの暮らしについて、今日はどうしてもお伝えしたいことがあります。
いま政府は「安全保障環境が厳しい」と繰り返し、軍事費を過去最大規模で増やそうとしています。
しかし、私たちは本当に“今が最も危険な時代”に生きているのでしょうか。
思い返してください。
かつて東アジアでは、もっと直接的に人命が奪われる事件が次々と起きていました。
ラングーン爆破事件。
大韓航空機の撃墜事件。
日本人拉致事件。
金大中氏の日本国内での拉致事件。
ソ連による撃墜事件もありました。
あの時代は、国家の暴力が実際に市民の命を奪っていた。
それでも当時の日本は、軍拡一辺倒ではありませんでした。
外交の幅を持ち、対話の可能性を探り、地域の安定をつくろうとしていた。
では、なぜ今だけ「軍事力の強化こそ唯一の道だ」と語られるのでしょうか。
問題は、状況が極端に悪化したからではありません。
変化した安全保障の現実に、政治が対応できていないからです。
現代の脅威は、昔のような爆破や撃墜だけではありません。
サイバー攻撃、経済依存、情報操作、気候危機、パンデミック。
軍事力だけでは守れない領域が広がっています。
それなのに政治は、相変わらず「国家の論理」だけで世界を見ている。
軍事と同盟だけに頼り、市民社会の力や地域の記憶を政策に生かそうとしない。
そしてもう一つ、重大な問題があります。
軍事というものは、基本的に“破壊”を前提とした力だということです。
どれだけ最新鋭の兵器を揃えても、その目的は相手を破壊すること。
軍事力は必要な側面もありますが、それだけで平和がつくられるわけではありません。
さらに、いまの政治が語らない現実があります。
インフレが続くこの状況で軍拡を優先すれば、私たちの生活の安全保障が脅かされるということです。
物価は上がり、電気代も食料品も負担が増えている。
子育て、介護、医療、教育――どれも現場は限界に近づいている。
そんな中で、何兆円もの軍事費を一気に積み増す。
そのツケは、結局、国民生活に跳ね返ってきます。
そして、もっと深刻な矛盾があります。
経済が破壊されれば、防衛費を増やそうにも増やせない。
そんなブラックジョークのような事態すら起こり得るのです。
軍事力を支えるのは、私たちの暮らし、私たちの経済です。
生活が疲弊し、地域が衰退し、社会保障が削られていく国が、どうやって持続的に防衛力を維持できるでしょうか。
安全保障とは、本来、
国民の命と生活を守るための総合的な仕組み
であるはずです。
軍事力だけを膨らませ、生活の基盤が弱っていく社会を、果たして「安全」と呼べるでしょうか。
広島は、破壊の現実を知る街です。
だからこそ、軍事だけに未来を預ける危うさを、私たちは誰よりも理解しているはずです。
必要なのは、軍事力に偏らない、
外交・経済・市民社会を含めた“複合的な安全保障”。
そして、暮らしを守るという当たり前の政治です。
広島から、問い直しましょう。
「何を守るための安全保障なのか」
「誰のための国家なのか」
未来を選ぶのは、私たち市民です。
ともに、暮らしと平和を両立させる政治をつくっていきましょう。
ありがとうございました。
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